リオ五輪の閉会式の演出は「そうきたか」という感じで凄かったですね。
演出を仕切ったのは椎名林檎だというのも驚きでした。
意外な人選だったかもしれませんが、その答えは、今年読んだ本の中にありました。
その本のタイトルは、宇野維正『1998年の宇多田ヒカル』(新潮新書2016年)
『ロッキング・オン・ジャパン』など音楽雑誌の編集者だった著者のデビュー作で、宇多田ヒカルを中心に1998年デビュー組(宇多田・椎名林檎・aiko・浜崎あゆみ)に関する人間・音楽模様を軸にした評論で、椎名林檎にも一章を割いて論じられています。
たぶん私が今年買った本でナンバーワンになるのではないかと思える本です。
キーポイントになるのは2014年11月6日の「音楽ナタリー」のインタビュー。
長い孫引きになりますが引用します。
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同じレコード会社の同期である宇多田ヒカルの活動休止に触れ、
「(前略)確かに言えることは、ヒカルちゃんの不在によって私がどれだけ寂しい思いをしているかということです。もちろん、流行り廃りの世界にいることは重々わかっているけれど、基本的に保たなきゃいけないクオリティの基準値があって……」
―ポップ・ミュージックを真摯にクリエイトするうえで。
「そう、そのためには踏まえなきゃいけない工程がやっぱりあるんですよね。その工程を踏まえていないものがまん延してるなって感じるときに、やっぱりヒカルちゃんがいてくれたらいいなって思うことはよくありますよね」(前掲同書P131)
(中略)
「2020年の東京オリンピックが決まったとき、(中略)『だいじょぶなのか東京』と、不安を覚えたでしょう?開会式の演出の内容がおっかなくて仕方ないでしょう?(中略)こんなふうになったら困るなという、私たち国民全員共通のイメージってあるでしょ?『あちゃー』ってなったらヤだなって。(中略)
子供を持つ親として、私なんかにも動けることがあればしたいと思ってます。Jポップと呼ばれるものを作っていい立場にあるその視点から、絶対に回避せねばならない方向性はどういうものか、毎日考えてます」(前掲同書P144)
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明確に志願して立候補したのだということがわかります。
今年椎名林檎は表立った仕事を一つもしていないとのことで、これに全てを賭けていたのでしょう。
本書の表現を借りれば「日本の音楽業界/芸能界で幅をきかせているアイドル・グループやダンス・グループに占拠」されなくて心の底から良かったと思いました。
国立競技場やエンブレムの件で「こんな風になるんならもう返上しちまえよ」くらいに思っていた自分を反省します。
開会式もこんな感じだといいですね。
※今回の閉会式の演出内容についてはアニメ(ドラえもん)やゲーム(マリオ)、漫画(キャプテン翼)という切り口や、「ポケモンGO」や「シン・ゴジラ」との共通点を見出す人もいるようですが、そこまではお腹いっぱいということで……